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福岡地方裁判所大牟田支部 昭和52年(ワ)31号 判決

原告

宮野朱美

被告

熊本県

主文

一  被告は原告に対し、金四、八五九万〇、一二二円及び内金四、五五九万〇、一二二円に対する昭和五一年六月九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、それぞれを各自の負担とする。

四  この判決は、一項記載の「認容金額」につき二分の一の限度で仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金一億〇、五一六万九、七〇四円及び内金一億〇、〇六六万九、七〇四円に対する昭和五一年六月九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

原告は、次の事故(以下本件事故ともいう)により傷害を受けた。

(一) 日時 昭和五一年六月八日午前三時ころ

(二) 場所 熊本県玉名郡長洲町二、八二〇番地一「北京飯店」先の熊本県道大牟田熊本宇土線と下の割用水が交差する付近

(三) 事故の態様 原告が原動機付自転車(大牟田い八五二〇、以下本件単車ともいう)を運転し、熊本県荒尾市方面から同県玉名市方面に向かい時速約三〇キロメートルで進行中、前記場所において路外逸脱し、同所の下の割用水に転落

(四) 傷害 頭部外傷、頸椎捻挫、脊髄損傷、顔面及肢挫傷(後遺症)脊髄損傷による四肢麻ひ特に両下肢用廃

2  被告の責任

(一)(1) 本件事故現場付近の概況は別紙図面のとおりであり、本件道路は県道大牟田熊本宇土線で被告が管理するものである。

本件道路中央には車道より二〇センチメートル高い中央分離帯が設置されており、原告の進行していた車線部分は幅員約一〇・六メートルである。右進路前方にある下の割用水には下の割橋が架設されているも、同橋は道路端まで行きわたらず、中央分離帯から三・六五メートルまでしか及んでおらず、道路幅員が右下の割橋部分のみ急激に減少している。しかも、下の割用水手前の原告の進行車線の道路状況は、中央分離帯寄りが幅員約三・五メートルのアスフアルト舗装道路、他は幅員約七メートルの砂利道となつているも、右砂利道は整地され車両の通行が十分可能である。又下の割用水先の道路状況は用水手前部分と同様、用を隔てて幅員約一一メートルの道路がつづいており、同用水近くの道路の左端には、道路を境として、鉄筋コンクリート三階建の北京飯店のビルがそびえ立つている。

(2) 右の割用水には、本件事故当時、下の割橋柱(別紙図面参照)にわずかに視線誘導標(テリネーター)一個が設置されていたのみで、付近には幅員減少の道路標識や転落防止の防護柵等の安全施設は格別設置されていなかつた。

(3) そこで、特に夜間同所を通る車両運転者は本件道路を通り慣れていないかぎり同道路は玉名市方面に向つて幅員一〇・六メートルないし一一メートルの道路が間断なくつづいており、同道路が下の割用水付近で大幅に減少しているなどということは到底予測できない。

(二) そもそも、道路法二九条は道路の構造の原則について次のように規定している。即ち、「道路の構造は、当該道路の存する地域の地形、地質、気象、その他の状況及び当該道路の交通状況を考慮し、通常の衝撃に対して安全なものであるとともに、安全且つ円滑な交通を確保することができるものでなければならない」。而して、幅員が道路の構造の基本的要素であるのは当然である(同法三〇条参照)。これらを表示する道路標識は道路の重要な付属物として道路の一部をなしており(同法二条一、二項)、道路管理者は右のような見地から必要な個所には当然道路標識又は区画線を設けなければならず(同法四五条一項参照)、本件の事故現場は幅員が急に減少しているのは前記のとおりであるから、道路管理者たる被告はその表示をするのが当然である。しかも、道路標識、区画線及び道路表示に関する命令(以下道路標識等に関する命令という)によれば、幅員減少の標識は別表第二の二一二の様式、即ち黒色と黄色で全部光線が反射する警戒標識であることをわざわざ規定し、その重要性を強調している。

又、道路法四六条によれば、「道路の破損・欠壊・その他の事由により交通が危険であると認められる場合」「道路に関する工事のためやむを得ないと認められる場合」は「交通の安全を防止するため区間を定めて道路の通行を禁止し、又は制限することができる」と規定する。この規定は、必要のない場合にまで禁止することを防止するため「できる」と規定するが、交通安全上必要な場合は「なさなければならない」ものである。

本件の場合、道路工事中であれば片側一部通行止の表示をなすべきである。

(三) 原告は、当夜初めて原動機付自転車を運転して本件道路にさしかかり、対向車の前照灯の直射を避けて自車の前照灯を下向きにしたまま前方を注視して直進したところ前記のとおり車もろとも下の割用水に転落して負傷したものである。

そもそも、道路の交通安全は一人道路を熟知した運転の熟練者、ライト二個の普通車だけでなく、原告のように道路左端を行くライト一個の単車や運転の初心者、道路の状況について未知な運転者に対しても確保されなければならないことは論を待たない。

されば、本件事故は、前記のような危険性を有する本件道路に対して、その管理者である被告県が適切な管理を欠いたために発生したものであつて、被告は原告に対して、国家賠償法二条一項によりその損害の賠償責任がある。

3  損害

(一) 慰藉料 金一、二〇〇万円

原告は、本件事故により前記脊髄損傷等の重傷を受け、現在なお身体の自由がきかず、両上肢及び両下肢の全機能麻痺は将来においても回復する見込みはなく、右後遺症は自賠法施行令第二条の後遺障害等級別表による第一級(労働能力喪失率一〇〇パーセント)八号に該当する。当時原告は、前夫と離婚して三名の幼児を引き取り養育していたもので、一家の大黒柱であつたところ本件事故によつて原告一家は計り知れない打撃を受けた。これらを総合すると、本件事故により原告の受けた精神的苦痛に対する慰藉料としては金一、二〇〇万円が相当である。

(二) 逸失利益 金二、九四六万二、八五〇円

原告は、新制高等学校を卒業した事故当時二九歳(昭和二一年九月二〇日生)の健康な女子であつたから、本件事故がなければ六七歳になるまでなお三八年間は労働可能であり、事故当時「かつみ」というバーを経営していたので、少くとも、今後原告と同学歴、同年代の女子の平均賃金以上の収入を得ることができたことは確実であり、昭和五〇年分賃金センサス第一巻第一表にあてはめるとその月額給与は金八万九、六〇〇円、賞与等年三二万九、八〇〇円となるので、これを基に右現価を年五分の割合による中間利息を控除したホフマン式により計算すると、その逸失利益は(89,600×12+329,800)×20.970ホフマン係数=29,462,850(円)となる。

(三) 付添看護(介護)料 合計金六、一三一万一、八三八円

但し昭和五一年八月九日から昭和五六年七月三一日までの分 金一、二七五万二、一七七円

昭和五六年八月以降の分 金四、八五五万九、六六一円

原告は、前述の如く一生介護を要する状態であり、昭和五六年七月三一日までの付添看護の費用として金一、二七五万二、一七七円の支払を余儀なくされ、今後もその支払は原告が死ぬまでつづくことになり、その月額は金二四万〇、八一四円、現在三四歳間もなく三五歳の原告の平均余命は四〇・〇二年(昭和五三年簡易生命表)になるので、これを年五分の割合による中間利息を控除したホフマン式で計算すると(240,814×12)×16.804ホフマン係数=48,559,661(円)となる。

(四) 入院雑費 合計 金七二二万五、六六〇円

昭和五一年六月八日より昭和五二年五月七日まで一日金五〇〇円として金一六万七、〇〇〇円

昭和五二年五月八日より昭和五六年七月二七日まで一日金六〇〇円として金九二万五、二〇〇円

昭和五六年七月二八日より前記平均余命まで一日金一、〇〇〇円として、

(1,000×365)×16.804=6,133,460(円)

(五) 損害の填補

(1) 原、被告間の熊本地方裁判所玉名支部昭和五一年(ヨ)第二一号仮処分申請事件に対する判決に基づいて、被告は原告に対し、既に金一〇五万三、〇〇〇円を支払つた。

(2) 又、原、被告間の福岡地方裁判所大牟田支部昭和五二年(ヨ)第四四号仮処分申請事件について、昭和五四年一〇月三日和解が成立し、被告は原告に対し、本件損害賠償の内金として金三五〇万円を支払つた。

したがつて、前記(一)ないし(四)の損害合計金一億一、〇〇〇万〇、三四八円から右支払を受けた合計金四五五万三、〇〇〇円を控除すると損害総額は金一億〇、五四四万七、三四八円となる。

(六) 弁護士報酬 金四五〇万円

4  結論

よつて、原告は被告に対し、国家賠償法二条一項に基づく損害賠償として前記損害合計額の範囲内で最高額金一億〇、五一六万九、七〇四円及び内金一億〇、〇六六万九、七〇四円に対する昭和五一年六月九日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1の事実中

(一)は時刻の点を除いて認める。時刻は不知。

(二)は認める。

(三)は原告が車もろとも下の割用水に転落していたことは認めるが、その余は不知。

(四)は後遺症の点を除いて認める。後遺症の内容は不知。

2  同2の事実中

(一)の(1)のうち、原告の進行した車線のうちアスフアルト舗装の部分を除いた幅員約七メートルの部分が砂利道で整地されていて車両の通行が十分可能であつたとの点は否認し、その余は認める。(2)は認める。(3)は否認する。

(二)、(三)は不知ないし争う。

被告は、原告の本件道路の設置、管理に瑕疵があつたこと及び原告の傷害が右瑕疵に起因して発生したとの主張は強く争うが、その主張の詳細は後記のとおりである。

3  同3の事実は、(五)の損害の填補の点を除いてすべて不知。(五)の被告が原告に合計金四五五万三、〇〇〇円の支払いをしている事実は認める。

なお、原告が主張する損害について、被告にその賠償責任があるなら次の点を考慮されるべきである。

(一)の慰藉料について、原告方における一家の支柱は原告ではなく同人の父の訴外宮野清次であるから、一家の支柱としての勘案は不相当である。

(二)の逸失利益の算定について、原告は、バー「かつみ」の経営者ではなくむしろ同所のホステスの一人として考えるのが相当である。又、原告は昭和三八年に私立不知火女子高等学校を二年生の時に中退しており、賃金センサスでは「小学、新中卒」の欄となる。満二九歳から六七歳までの逸失利益の計算というものであれば、事故当時の年齢階層の給与額ではなく、所謂「年齢計」の給与額が基礎数字としてより適切であり、本件のように就労可能年数三八年もの長期間の逸失利益の計算はライプニツツ式を採用するのが相当である。

(三)の付添看護(介護)料について、本件事故後受傷部位の治癒までの相当期間の入院が必要であつたことは争わないが、右治癒後は所謂後遺症が残るのみで格別の治療は必要としない筈であり、向後一生の間入院の要はなく自宅にて生活することも可能な筈であり、そうすれば現在の如く職業的付添人の付き切りの介護は必要でない。

又、原告は、既に身体障害者福祉法による身体障害者一級の認定を受けており、同法一八条所定の更生援護施設への収容あるいは同法一九条所定の更生医療として、三項四号の「病院又は診療所への収容」、五号の「看護」等の給付、その他、同法所定の各種の援護を受け得られる筈である。したがつて、右の諸手続をなさずして本件のような介護料を被告に請求するのは不当である。仮に原告主張の如き請求が許されるとしても、前記逸失利益と同じくその計算はライプニツツ式によるのが妥当である。

三  原告の請求原因2項の主張に対する被告の反論並びに過失相殺の主張

1  本件事故は、専ら原告自身の過失によつて発生したもので、原告が本件道路の設置管理の瑕疵として主張するところは、すべて瑕疵と言い得ないか、少なくとも本件事故と因果関係がない。即ち

(一) 原告の進行方向からみた本件下の割橋の左手前の橋柱には視線誘導標(テリネーター)が設置され、その左側には人の背丈をはるかに超える柳の木がかなりの幅に枝を広げて生茂つていた。

更に、下の割用水の手前約四五メートルにわたつて未舗装路面が存在し、その路面には、当時、山砂が散布されていて雨水の流れで形成された溝など相当の凸凹があり、又、本件道路の舗装部分から未舗装部分に進入する境目には当時約一〇センチメートルもの段差がついていた。したがつて、本件原告としては、右の如く橋梁の存在自体に加え、視線誘導標、柳の木、未舗装部分及び段差等の存在により、右橋梁の左方に用水が存在し、右橋梁付近では道路幅員が減少していることに容易に気付いて、直ちに減速徐行、又は一時停止する等事故回避の措置をとり得た筈である。

(二) 然るに、原告が本件下の割用水に飛込むまで全く何の異常にも気付かなかつたのは、原告の方で、

(1) 免許取得後僅か四日目で運転技術に習熟していなかつたこと、

(2) 当夜運転前、原告は客の酒席についていささか飲酒したうえ、一身上の問題で義母の訴外宮野シズ子と口論し、やけ酒を飲み、興奮のうえ飲酒酩酊の状態で真夜中に自動車(原動機付自転車)を運転したこと、

(3) 前方注視を怠り、足許ばかり見て走行していたこと、等の事実が重なつたことによる。

2  仮に、被告の方に本件道路の設置管理に何らかの瑕疵があつても、賠償額の算定にあたつては右原告の過失に鑑み相当の過失相殺がなされるべきである。

四  被告の過失相殺の主張に対する答弁

被告の右主張のうち、本件下の割橋の左手前橋柱に視線誘導標一個が設置され、その付近に小さい柳の木があつた事実は認めるが、昼間ならともかく夜間原告のように本件道路に不慣れな運転者がこれを認識することは困難であるうえ、仮に、これを認識したとしても、そのことによつて本件道路がそこで大きく減少していることに気付くのは不可能である。

その他の事実については原告が請求原因2項で主張したとおりであつて、右主張に反する事実は否認し、被告の過失相殺の主張は争う。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  当事者間に争いがない事実と原本の存在及び成立に争いのない甲第五号証(熊本地方裁判所玉名支部昭和五一年(ヨ)第二一号仮処分申請事件―以下同じ―の宮野清次の証人調書写)、成立にいずれも争いのない甲第一三号証(身体障害者診断書)、第二三号証(原告の本件代理人に対する供述調書)、乙第一三号証(原告の司法巡査に対する供述調書)及び原告本人尋問の結果(第一回)によれば、請求原因1の事実をすべて認めることができ、これを覆えすに足りる証拠はない。

なお、本件事故発生の時刻及びその直前の本件単車の速度は必らずしも明らかでないが、原告主張のとおりと認定するのが相当である(原本の存在及び成立に争いのない乙第五号証((永光頼光の証人調書写))では、本件単車の速度は計算上時速約四〇キロメートルであるとなつているが、その根拠は明らかでなく、右調書の別の箇所には本件単車が未舗装部分を時速四〇キロメートルで走ることは振動が激しく困難であると供述している部分が存する。又、前掲乙第一三号証では原告自身捜査官に対して、当時の本件単車の速度について時速四〇キロメートルかそれ以上であつたと供述している事実が窺えるが、原告が運転時に速度を確認したわけではなく右速度は大体の印象を述べたにすぎず、後に、前記甲第二三号証及び原告本人尋問((第一回))によつて時速三〇キロメートルに訂正されており、右各供述記載によつてもいまだ前認定を覆すに足りない。なお、本件事故発生の時刻については後に更に検討する。)

二  被告の責任(責任原因)

(一)  請求原因2の(一)の(1)の事実中、原告の進行車線の中の砂利道が当時車両の通行が十分可能であるほどよく整地されていたか否かについては当事者間に争いがあるが、その他の事実及び同2の(一)の(2)の事実については、いずれも当事者間に争いがない。

(二)  右争いのない事実に、前掲甲第二三号証、乙第五号証、第一三号証、原告本人尋問の結果(第一回)、原本の存在及び成立に争いのない甲第一号証(斉木寛司の証人調書写)、第三号証(中島民雄の証人調書写)、第四号証(田尻照男の証人調書写)、乙第一一号証の一ないし四(実況見分調書の写等)成立に争いのない甲第八号証(位置図)、乙第一号証の一ないし七(写真)、第四号証の一ないし一〇(写真)、第一〇号証(捜査報告書謄本)証人中島民雄の証言により真正に成立したものと認められる乙第二号証(「道路事故現場の現地調査について(報告)」と題する書面)、証人永光頼光の証言により真正に成立したものと認められる乙第一八号証(「道路事故現場(長洲都市計画道路)の夜間現地調査について(報告)」と題する書面)、証人中島民雄、同市野幸一及び同永光頼光の各証言を総合すると、以下の事実が認められる。

(1)  本件道路は被告が管理するものである。

当時の本件道路は、別紙図面のとおり車道より約二〇センチメートル高い中央分離帯で左右に分離され、熊本県荒尾市方面から同県玉名市方面へ向かう原告の進行車線は幅員約一〇・六メートルで、下の割用水の手前約一〇〇メートルの信号機のある交差点までは、完全なアスフアルト舗装道路で三車線ないし四車線に区分され、車道の左側には一段高い歩道が存する。右信号機の所を超え下の割用水の手前四五メートルまでは、車線区分が消えてアスフアルト舗装だけがつづく。その先は、アスフアルト舗装部分が中央分離帯より約三・五メートルの幅に縮まり、その左方約七メートルの幅はずつと砂利道(被告主張の未舗装部分)となつて下の割用水までつづき、更に左側の前記歩道に相当する部分はところどころ草が生え未整地の状態で放置されている。而して、荒尾市方面から下の割用水に近ずき全面アスフアルトの部分を超えて砂利道に入るとその境目は中央分離帯に近い所で約一〇センチメートル低くなつており、路面は山砂が散布され多少凸凹道となるが、それほどひどいわけではなく車の通行も十分可能である。もつとも、右砂利道も下の割用水に近ずくにつれ凸凹がひどくなり、特に下の割用水付近には雨水が右のアスフアルト部分から路肩の方に流れた際にできた自然の溝が道路を横切つている。本件道路が下の割用水にぶつかると、右アスフアルト道に相当する部分に約三・六五ないし三・八メートル幅の下の割橋が架設されているも、砂利道は途絶えてその先は下の割用水となつている。しかし、下の割橋をわたると道路は再び広くなり、下の割橋手前と同じく約三・五メートル幅のアスフアルト道と七メートル幅の砂利道及び前記歩道に相当する未整地の路肩がつづく。そして、右橋をわたつたすぐの所に路肩を境にしてその左側に鉄筋三階建の北京飯店のビルがそびえ、同ビルは夜間でも付近の照明に照らされ下の割用水の手前からみると暗がりの中にきわだつてみえる。

もともと、本件道路は下の割橋の幅員と同一であつたが、昭和四四年頃からその舗装並びに拡張工事に着手し、昭和四七年以降橋梁部分のみ幅員が狭くなつたのに伴い、橋梁の幅員を拡張する時点までは事故防止の観点から橋梁の手前を一部未舗装のままにして付近を通る車両の運転者に注意を喚起しようとしたものである。

(2)  原告の転落地点は別紙図面のX点と推認される。事故現場付近には街灯は全くなく、原告の進行車線から前方をみると別紙図面表示の位置に高さ約一・五三メートルの視線誘導標(テリネーター)一個が設置され、その左方の下の割用水の土手の内側斜面に人の背丈ほどの柳の木二本ぐらいと何本かの背の低い柳の木が植つていた。しかし、その他には幅員減少を表示する標識、転落防止のための防護柵等安全施設の設置は本件道路上に全くなされていなかつた。

(3)  夜間、原動機付自転車を運転して荒尾市方面から下の割用水に近ずくと約三〇メートル手前で仮に前照灯を下向きに照射した場合であつても、特別の事情がない限り前記別紙図面表示のテリネーターや柳の木を視認することができ、その一〇メートル手前の部分に至ると下の割用水を帯状の黒い影の如きものとして認識することができる。しかし、同所に用水路が存在することを予め知つている者ならともかく、夜間初めて同所を通る運転未熟者や不注意な運転をする者にとつては前方に用水路があることを直ちに判断することは必らずしも容易ではない。

本件事故以前にも夜間自転車と自動二輪車の運転手が原告と同じ様に下の割用水に落ち込むという事故があいついで発生している。

(4)  原告は、本件事故の四日前に初めて原動機付自転車の運転免許をとり、当日初めて事故現場付近を自ら運転して通つたものである。原告は、昭和五一年六月七日夕方から自己が経営していた住所地のバー「かつみ」の店に出て客の相手をしていささか飲酒し、客が引けた後翌八日午前零時過ぎに店を閉め、その後も少しビールを飲み午前二時頃本件単車を運転して自宅を出、午前三時頃本件事故現場付近にさしかかつたものである。原告が何のために本件事故現場付近を運転していたかは明らかでない。しかし、いずれにしても原告が当夜飲酒のうえ本件道路を走つたことは明らかである。現場付近では、前記四車線のうち左から二番目の車線を走り、車線区分が消え少しアスフアルト道路を走りシヨツクを感じて砂利道に出て、多少凸凹道になつたのでハンドルを強く握りしめ前照灯を下向きにしたまま足許を気にしながら時速約三〇キロメートルで直進していたところ道が急に途絶えてしまい、そのまま土手を超えて下の割用水に転落し負傷するに至つたものである。転落前、原告は前方の北京飯店のビルの存在に気づいたものの下の割用水の存在はもとより下の割橋、その橋柱上のテリネーター、土手の柳の木の存在には全く気づいていない。

(5)  本件事故を重視した被告の方では、事故当日の夕方新たに下の割用水手前の土手に沿つて転落防止のための木の柵と工事中を知らせる赤色灯をつけたガイドポストを複数設置し、その翌日にはガイドポストにかえてテリネーターを土手に沿つて連続して設置したものである。その後、下の割用水の手前に鉄製のガードレールを設置し、そのガードレール及び路面上にそれぞれ夜光塗料を施した矢印を書いて右ガードレールの先に車両が行くことを防止している他付近を通る車両を安全に下の割橋の方に誘導している。現在は、下の割橋がその前後の道路幅員まで拡幅され本件のような事故の発生する危険性は全くなくなつている。

以上の事実が認められ、証人西辻一重の証言はいまだ右認定を覆すに足りず、右認定に反する前掲甲第三号証、第二三号証、乙第五号証、成立に争いのない乙第二一号証の一ないし四(録音反訳書)、第二六号証(録音テープ)並びに証人宮野シヅ子の証言及び前掲原告本人尋問の結果(第一回)はいずれも措信しない。

なお、右乙第二一号証の一ないし四及び乙第二六号証の中には昭和五一年六月七日夜から翌八日にかけての原告の行動について要旨次のような内容の供述が存する。

「事故発生当夜(正確には前夜)は閉店となつた後、原告と義母シヅ子との間に平素からうつ積していた不平不満、争いが爆発し、原告は泣き、やけ酒にビール三本を立て続けにあおつてシヅ子と言い争い、終りには外に出て単車を引張り出して乗つて出ようとしたものの酔いが廻つて倒れる有様であつたので、まだ店に残つていた古賀チヨカ、坂口ツヨ子の両名が原告をなだめて二階の住まいにやつと上らせたが、右両名が帰つてしまうと原告は再び下に降りて単車で家を飛びだした。その時刻は午前三時過ぎである」と。

確かに、当夜の原告の行動については疑問が多く、この点の原告の実父の宮野清次の証言にも変遷があることは被告代理人指摘のとおりである。何といつても、原告が当夜バー「かつみ」の集金に出掛けたと弁解する点は到底措信できる事実ではない。

したがつて、原告側の方では殊更不利益な事実を隠そうとしているのではないかとの疑問はある。しかし、前記乙第二一号証の一ないし四、第二六号証は、当時原告経営のバー「かつみ」に勤務していた訴外松枝恵美子、古賀チヨカ、坂口ツヨ子が被告県の職員に秘かに漏らした内容を録取したものであるが、右供述者の一人である坂口ツヨ子は法廷で被告代理人との間で次の様な問答を繰り返している。「問 朱美さんは客がすんで自分一人で飲んでいたんじやないですか。答 覚えてないです。問 この晩朱美さんは荒れていなかつたですか。答 荒れているようには感じなかつたです。問 どこかに出て行こうとしたことはないですか。答 わかりません」と。又、他の松枝恵美子、古賀チヨカは当裁判所の再々の証人喚問に応じないので前記供述を弾劾する機会が原告側に与えられていない。

又、証人木村一則の証言によれば、右供述は松枝恵美子らの方から進んで被告の方に持ち込んで来たものであるが、同女らは当時雇主の原告にかなり不平不満を抱いておりそのため本件事故発生の状況について原告側に不利益な事実を暴露しようとしていたこと、被告県の職員が松枝らから話を聞き録音するに際しては儀礼の意味とはいえ、被告側の方で酒食のもてなしをなし贈物までしていること、しかも録音した翌日右松枝らが前言を翻えし録音テープを返すこと、もし、これを本件審理の証拠資料として利用するなら自分達の立場がなくなるのである程度の金銭的保証をするよう不当な要求をなし、困惑した被告県の職員が録音テープを返還することになつたが、その前被告代理人において秘かに右録音テープを他のテープに再録し、これが本件テープであること等の事実が認められる。右事実によれば、前記供述の取得経過には不明朗な点が多いうえ、その信用性にも疑問があるので、その内容をそのまま真実なものとして採用することはできないと考える。

(三)  右(二)の認定事実を前提として被告の責任の有無について検討するに、

(1)  自動車の運転者は必らずしも運転に習熟しかつ交通法規を完全に遵守する者ばかりとは限らないので、道路は右の如き者にとつてのみ安全が確保されているというだけでは不十分で、ある程度まで運転未熟な者や多少不注意な運転をする者にとつても安全が確保されていなければその設置、管理に瑕疵があるというべきである。

(2)  本件道路は、前認定のように工事途上であつたとはいえ、当時幅員が下の割用水部分のみ急激に減少し、あたかも道路の途中まで用水が入り込んだ形となつており、道路交通の安全上重大な欠陥を有する道路であつたことは明らかである。確かに、別紙図面のとおり橋柱にテリネーター一本が設置され、路端を表示していたのではあるが、夜間不注意な運転者がこれを看過する可能性は否定できず、又これを認めたとしても初めてここを通る者にとつてはそれが何を表示しているか即座に判断することは必らずしも容易ではない。柳の木の存在も前記のようにその前方に用水路があることを認識し得ない場合にはその左側に道路がつづいているかあるいは野原等の空地が前方の北京飯店までつづいていると感達いする恐れは十分ある。加えて、柳の木の存在自体付近に街灯もないのであるから本件単車のような前照灯一個の車では夜間その照射場所如何によつて視野に入つてこない場合も考えられる。

又、被告主張の未舗装の路面(砂利道)の存在も、前記夜間、不慣れな運転者に対しては進路前方に異常があることを了知せしめるに十分なものではない。

したがつて、道路管理者である被告は、本件未舗装道路の通行を禁止しない限り、前記のような本件道路の有する重大な欠陥を認識して、少なくとも、幅員減少の表示をしたうえ、事故後設置したように下の割用水の土手に沿つてテリネーターを連続して設置し未舗装部分の向う側に異常があることを表示すべきであつたと考える。

(3)  よつて、本件道路はその設置、管理に瑕疵があつたというべきであり、本件事故がこれを起因することは明白であるから、被告は原告に対し、国家賠償法二条一項によりその損害を賠償する責任がある。

三  過失相殺

前記本件事故現場の状況からみて、原告が前方を注視して運転していれば、テリネーター、柳の木の存在に気ずき、未舗装道路の存在等と相まつて自己の進路前方に異常があることを認識し、右転把して下の割橋上を通過するか一時停止する等して前方の安全を確認していれば本件事故を回避することは十分可能であつたと考える。しかるに、右注意義務を十分尽くさなかつたばかりか、何よりも運転免許取得後わずか四日目にして深夜飲酒のうえこれまで通つたこともない道路を運転した行為は無謀であつて、本件事故発生については原告側にも相当な落度があつたといえる。

そこで、本件道路の設置、管理の瑕疵と原告の方の右過失とがそれぞれに本件事故の原因と考えられ、その過失割合は五分五分と判定するのが相当である。したがつて、今後の損害額の算定にあたつては、原告側に五割の過失相殺を認めるべきである。

四  損害等

(一)(1)  慰藉料

前掲甲第一三号証、第二三号証、証人宮野清次の証言(第一回)、原告本人尋問の結果(第一回)並びに成立に争いのない甲第六号証(原告の戸籍謄本)及び証人松島哲也の証言によれば、原告は本件事故によつて脊髄損傷等の傷害を受け現在なお身体の自由がきかず入院を余儀なくされているばかりか、両上肢及び両下肢の機能麻痺は将来においても回復する見込みがなく、右後遺症は自賠法施行令第二条の後遺障害等級別表による第一級(労働能力喪失率一〇〇パーセント)八号に該当するものであること、原告は本件事故当時満二九歳(昭和二一年九月二〇日生)の働きざかりの健康な女子で、夫と離婚後三人の子供を引き取つて養育していたところ本件事故によつて働くことも子供達の世話をすることも不可能となつたことが認められ、右事実及びその他諸般の事情を考慮すると、本件事故によつて原告の被つた精神的苦痛に対する慰藉料としては原告主張のとおり金一、二〇〇万円が相当である。

(2)  逸失利益

前記のとおり、原告は本件事故当時満二九歳の健康な女子であつたので、右事故なくば今後六七歳まで三八年間は稼働できたとみることができる。

前掲甲第二三号証、乙第一三号証及び弁論の全趣旨によれば、原告は昭和三八年に大牟田市内の不知火女子高等学校を二年生半ばで中退し、昭和四九年ごろからバー「かつみ」を経営するようになつていたので、本件事故に遇わなければ右三八年間は、少なくとも、原告と同学歴同年代の女子の平均賃金を下らない収入を得ることができたと認められ、右認定に反する前掲乙第二一号証の一ないし四、第二六号証は措信しない。

そして、昭和五一年分賃金センサス第一巻第一表によると昭和五一年度の小学、新中卒女子労働者の平均月額給与は金八万二、六〇〇円、賞与その他の特別給与は金二〇万〇、九〇〇円となるので、これを基礎として事故後の得べかりし利益の現価を年五分の中間利息を控除してライプニツツ式で計算すると、(82,600×12+200,900)×16.868ライプニツツ係数=20,108,342(円)(但し円未満切捨、以下同じ)となる。

なお、原告は右逸失利益の計算にあたつて年別ホフマン式を採用しているが、本件のように就労可能年数が三八年もの長期にわたる場合は、被告主張のようにライプニツツ式によるのが相当である。

(3)  付添看護(介護)料

前記のとおり、原告は本件事故によつて脊髄損傷等の傷害を受け現在なお身体の自由がきかず入院を継続しており、両上肢及び両下肢の機能麻痺は将来においても回復する見込みがないこと、原告の主治医である証人松島哲也が「原告は、脊髄損傷によつて現在も手足の自由がきかず、自ら起き上がることもできないうえ、一時は膀胱、直腸障害も併発し、今後も下肢の機能回復は不可能で、上肢の機能回復についてもその可能性が薄いこと、純然たる医学的意味で本件のような専門家の付添看護が今後も必要であるかどうかは疑問であるが、体位変換や食事の世話、用排便の後始末等他人の介助が必要で世話が行き届かなかつた場合は床擦を起こし肺炎や尿導感染症を併発して生命を奪われる危険性もある」旨供述しておる等の事情を考慮すれば、原告に対してはその主張するような付添看護は必要であると認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。被告は、原告が既に身体障害者福祉法による身体障害者一級の認定を受けているので、同法による救済を求めずして被告に本件のような多額の付添看護料等を請求するのは不当であると主張するが、右のような公的扶助を受け得る可能性があるからといつて被告の本件損害賠償責任がなくなるものでないことは明らかである。

そこで、右付添看護料について計算してみると、

(ⅰ)証人宮野清治の証言(第一、二回)、同証言によつていずれも真正に成立したものと認められる甲第二五号証の一ないし三五、第三八号証の一ないし一八、第三九号証の一ないし三(いずれも看護料、手数料領収書)及び同第三九号証の四(手数料請求書)によれば、原告は昭和五一年八月九日から昭和五六年六月三〇日までの付添看護料等を既に支払い、昭和五六年七月分の付添看護料についても既に支払期限が来ていること、これらの合計額は金一、二七五万二、一七六円となることが認められる。

(ⅱ)昭和五六年八月以降の分について、

原告は前記のとおり昭和二一年九月二〇日生れで昭和五六年八月一日当時で満三四歳間もなく三五歳になるので昭和五四年簡易生命表によると今後の平均余命は四五・二三年となるので、原告は今後この期間の間付添看護料の支払をつづけなければならないことにより、前掲甲第三九号証の一ないし四によれば、昭和五六年当時の右付添看護料の年額は計算上金二八三万五、三九〇円(但し、三一日間金二四万〇、八一四円として計算)となるので、これを前提として四四・七四年間の現価を年五分の中間利息を控除してライプニツツ式で計算すると、2,835,390×17.774ライプニツツ係数=50,396,221(円)となる。

以上(ⅰ)(ⅱ)合計金六、三一四万八、三九七円

(4)  入院雑費

原告の入院期間中の諸雑費としては受傷の程度、入院期間その他の事情を考慮すると経験則上一日金六〇〇円が相当であるので、これを基礎に右金額を計算してみると

(ⅰ)昭和五一年六月八日から昭和五六年八月一五日(口頭弁論終結時)まで

600×1,895(日)=1,137,000(円)

(ⅱ)のその後は前記平均余命までの現価を年五分の中間利息を控除してライプニツツ式で計算すると

(600×365)×17.774ライプニツツ係数=3,892,506(円)となる。

以上(ⅰ)(ⅱ)合計金五〇二万九、五〇六円

以上の損害合計額は、金一億〇、〇二八万六、二四五円となるところ、前記のように本件事故発生に至る被害者自身の過失として五割を過失相殺すべきであるから、結局被告に請求できる損害額としては金五、〇一四万三、一二二円となる。

(二)  損害の填補

原告が本件事故による損害に関し、被告から合計金四五五万三、〇〇〇円の支払を受けたことについては当事者間に争いがないので、これを本件損害に充当すると残額は金四、五五九万〇、一二二円となる。

(三)  弁護士費用

本件事案の内容、訴訟の経過及び認容額等を考慮すると本件事故に伴う損害として被告に賠償させる弁護士費用は金三〇〇万円をもつて相当と認める。

五  結論

したがつて、被告は原告に対し、金四、八五九万〇、一二二円及びこれにより弁護士費用を控除した内金四、五五九万〇、一二二円に対する昭和五一年六月九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

よつて、原告の本訴請求は右の限度で理由があるから認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 正木勝彦)

別紙図面 事故現場付近概略図(但し、原告の進行車線部分のみ)

〈省略〉

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